2024.10.01
山城の代表的な防御の施設が今なお残っています。山の上なので水を引き込む事も不可能なので、空の堀と呼ばれています。
春になると久川城跡にソメイヨシノ、しだれ桜が咲きます。眼下に伊南川が流れ、散策やお花見におすすめです。
伊南地域の歴史と文化を伝える品々が展示。
開 館:5月上旬~10月下旬 の10時~16時
定休日:月~木(祝日除く)
住所 | 南会津町青柳字小丈山・小塩字丸山外地内 |
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電話番号 | 0241-64-5711(伊南観光センター) |
交通アクセス | 🚗東北自動車道那須塩原ICより約90分 🚃東武鉄道・会津鬼怒川線「会津田島駅」より会津バス(桧枝岐線)「古町温泉入口」下車 徒歩8分 |
駐車場 | 50台(奥会津博物館伊南館前30台) |
久川城とは
東に伊南川、西に滝倉川、北は久川が麓を流れる四方を急崖に囲まれた、南北565m、東西約250m、比高53mの丘陸上にある天然の要害です。
現在も空堀や土塁など遺構の保存が良好で、歴史的背景や築城・廃城の時期が比較的明確な点など、戦国期から近世初頭の山城として貴重な史跡。昭和60年、福島県史跡に指定されています。
久川城跡マップ
久川城復元推定図
奥会津博物館 伊南館 ではジオラマが展示してあります。
誰が、何のために?
中世の約300年間、会津は蘆名氏によって治められていました。天正17年(1589)に会津を攻め滅ぼした伊達政宗(1567-1636)の奥会津への侵攻を阻むため、鎌倉期より一帯を治めていた河原田盛次(~1591)が急遽築城したものと伝えています。伊南川が天然の防御となり、伊達軍は川を越えられず伊南の地は守られました。
伊南・久川城の重要性は?
伊南川と並走し、尾瀬を境に群馬県沼田と若松城下を結んだ交易路・沼田街道。「会津五街道」のように江戸期の参勤交代路として整備された道でこそありませんが、天下分け目の戦いといわれた「関ケ原合戦」前夜、石田三成と当時会津を治めていた上杉景勝の間であった重要な書状のやりとりが沼田街道を介したと「真田家文書」の研究から判明しています。沼田側からは会津に入る最初の城。国境警備や物資の往来など、風雲急を告げる時代には重要な役割を果たしていたものと推察されます。